〜田中一馬〜
今日は朝から人の声がいつも以上に響いていた。それは夏のある一コマのような、外から鳴り響く蝉の音を思わさせる。一種の倦怠感をまといながら重々しく身体を動かす。今日は何食べたっけ?メザシ?鮭?イワシ?なんかの魚を食べて、学校に訪れ鍵を開けて自分のデスクで寝ているところに誰かの声がして、それから気がつけば時間になって朝の朝礼と一時間目の授業の準備を持って来たんだ。チャイムの音に合わせて教室に入り教卓に着く。

「はーーーい…お前ら、さっさと席につけ」

俺の言葉を聞こえていないようにざわめきは止まらない。ため息も出てしまうだろう。俺の担当クラスの奴らは他のクラスと比べて良識的だ。良くも悪くも教師なんか居なくても各自の判断で何でもしてしまう。そして自主的に何かを計画することも好む傾向にあるので道徳の授業なんて前半の十分俺が生徒たちに説明をすると後はクラス代表に任せて見ていても問題はない。疑問があれば率先して自分たちで聞きに来ることもする。

生真面目に生徒をやっても何の得にもならねぇのに。





俺の思考を邪魔するように遠慮がちな声がかけられた。

「………海渡…?どうしたんだい?ここはD組だけど」

俺に話しかけてきたのはこのD組の中でも率先してクラスの意見をまとめることが得意な神代優杜だった。人目をよく引くその容姿。いつも一言余計だと思わせるようなその口ぶり、本当に可愛げのない生徒だ。呆れるように一息をつく。

「朝から生徒に説教をされる程先生は頼りないか?これでもそろそろこのクラスの担任として慣れてきたつもりなんだけど?」
「えっとその口調、いい加減な話しぶり。…もしかして田中先生ですか?」

耳に慣れた嫌味混ざりにも聞こえる言葉をたどるとそこに居たのは大禅聖。俺の知っている彼では内容で口元には呆れるような笑みが浮かんでいた。

「えっと…僕が大禅です」
「驚いたよ……登校した覚えもないのに教室にいるし僕の席に僕が居るんだ。話してみればすぐに聖だとわかったけど。…この様子じゃ別のクラスもこんな感じなんだろうね。まぁ、僕と入れ替わったのが聖だったのが唯一の救いか…。柳生とか入江だったら…」
「…まぁ、最近は仲良くしている方だろう?」
「………フン」

大禅の声で漏れる神代の言葉、神代の声で聞こえる大禅の声。そして自然と自分の髪に触れる。普段ならふわりと掻き上げてセットされているのだがその髪はペタンと下りて指の隙間をサラサラと流れる。服を見下ろすと学生服を身にまとっている。

「海渡…ってのは、隣のクラスの天才。芹澤海渡…か…?」
「………」
「先生。これを」

神代の姿をした大禅がポケットから手鏡を差し出した。
その小さな手鏡に写っている姿は見慣れた自分の顔ではなくC組、芹澤海渡の姿だった。


〜高木星夜〜
目の前に掲示されているピンクのふわりとしたドレス。白い耳のカチューシャまでついている。白耳で丸いピンクのウサギがモチーフとなっているそうでそれはどう見ても女物だ。正しくはズボンではある、だが動けばフリルが舞い長い耳はひょこひょこと垂れて動けばそれに合わせて垂れるだろう。動きにくい事は明らかだ。これを男性用にあしらったものもあるようなのだがそちらの方は上下ショッキングピンクでありこちらにも黒耳のカチューシャが用意されていた。どちらを着る?と聞かれたらどちらも着たくないが本音だろう。実際にクラスの大半はこれを嫌がり普段は冗談半分に乗りかかる生徒ですら浮かない様子を向けている。

「………だから!言ってんだろ!今は俺の身体なんだ!俺が何しても自由だろーが!」
「俺も何度も言ってるだろ!今やる必要ないからその服を返せ!」

俺の姿をしたクラスメイト・仲井薫は我ながら小柄なその身体をひょいと身を翻させふわふわとしたその服を抱えたまま教室を出て駆けていく。身体は悔しいが仲井の方が頑丈で息の乱れ一つないままに追いつくことはできる。だけど瞬発力というのは発揮されないようで、捕まえる前に逃げられてしまう。俺のことだすぐに体力バテてしまうだろう。って…よくわかんねぇ状況でなんでこんな事考えねぇといけねぇの?…おかしいの俺?いや…仲井のこの顔、…明らかに悪ノリをしている。自分の顔を殴りたくなる日が来るなんて思ってなかった。

「ほんと、お前…運動音痴だよな」
「うるせぇ…。何でもできる優等生に俺の気持ちがわかるかよ」
「ここがどこだろうが…星夜。…生意気なクチ訊かねぇ方が良いぜ…?」

自分の顔だというのに見たこともないような凄み方をする。いろんなウワサがある仲井だが部活動を初めてからはその性格は以前より柔らかくなったとか言われている。クラスでの素行を見ていても授業にはまともに出ない、集団行動を嫌い、教師と話す時も態度は変わらない。個別に話せばまともになるような印象はあるが皆から一線をおいているような気がするのだ。余計なことを考えている暇なんて無いはずなのに、思考が止まらない。

「……諦めろよ」
「何を揉めているんですか?」
「「多田先生」」
「ーーーー………ああ、時間が…」

多田先生は時計を確かめて俺たちが奪い合っている服を一瞥していつも見せる穏やかな笑みを見せた。穏やか過ぎて不気味だと感じさせる程だ。






〜若鶏勝〜

「………つまり、二人はその衣装をどっちが着るかで困っていたのかな?」
「だ、から!俺が着てやるって言ってんだろ!!」
「駄目だ!俺がお前でお前が俺なんだ!」

二人の生徒は言葉をぶつけ合う。俺の姿も今は『多田先生』に見えているのだろう。二人の口から揃ってそう言われたのだ。そう言われてみれば少しいつもより目線が低いような。それに方が凄く重い。肩に鉛でも入っているように肩が凝り固まっているのが分かる。普段から多田先生はそうなのだろうか?これが夢というのならそれを楽しむのも悪くない。多田先生には悪いけどこの立場を使わない選択肢はない。

この場所に対しての情報なんてものは必要ない。窓に映った姿で理解できないようなことが起きていることは分かった。しかし、だとすると自分と入れ替わっているのは多田先生なのだろうか?教師同士の入れ替わりなら特に問題でもないし俺と多田先生なら雰囲気だってそう変わらない。多田先生が俺の身体で無理なことするように思えないし普段の言動もまともな方だ。

「つまり…アリスが居るからこんな衣装があるんだな…」
「…ちっとはまともな事言うじゃねぇか。久々に吊るし上げっか…?」

目の前で身体の何処か無性に疼くような事を言い始めて苦笑いを落とす。

「………二人共、心配しなくてもこういう時のパターンなら…欲しいと思ったらもう一着出てくるもんなんだ」
「多田先生。…できれば俺は着たくないし俺の顔をした仲井に着させたくない…」
「ほら、見つかった。これで良かったかな。仲良く着れば次に進めるね」

都合よく、ロッカーから見つけ出されたというその衣装は高木くんの姿をした仲井が掴んでいるものの試作品なようでサイズを少し大きくしすぎたため作り直しとなったようなのだが仲井ほどの身長があればベルトを使えば着ることもできるだろう。

「観念しろよ…高木」
「……悪夢だ……」

まだ現実感はないが自分と入れ替わった多田先生の様子でもなれば少しでもこの異常な光景を体感できるだろうか。

「多田先生…これも矢筋先生からの指示だとか言いません?だったら着なくても…」
「あー…?どうだろう?多田先生から何も聞いて無いけど…。まぁ、俺の様子も気になるから見に行こうと思ってたところだし聞いてみるよ」

「……多田先生…?」
「じゃねぇんだろ。ったく…運動も勉強も平均で鈍いのか」

再び口喧嘩に巻き込まれる前に身をすくめて教室から出る。扉を一歩出ただけなのに次どの場所に向かうべきなのかがはっきりと見える。これはこの夢?の観測者の視点なのだろう。歩みを合わせ意識を同調させると強い立ちくらみのようなものと夜でもないのに空が一瞬真っ暗になった、気がした。円状の蓋を空に覆いかぶされた様に一瞬何の光りも見えなくなってぱっと視界がクリアになっていく。



〜柳生大〜
この空間は誰にも干渉されていなかった。やがて来る、異界人をこの世界に居たくなるように誘惑、惑わせる。その者の目印はどこかに印を付けているという。その印というものはあるものは金髪色だったり、吸い込まれそうな青い目だったり、赤いリボンだったり、そのものによって変わるという。つまり我らに求められているのはそのような者を見極める目を持つこと。我はこれまで幾度も経験している。年の頃は関係なく分かってしまうのだ。強すぎる魔力は人間には毒なようで我に力を与えた先代魔王の祖父は幼い頃から我に見つけたとしても強い魔力同士が交わってはいけないし親しくなってもいけないと躾けられた。

「…外、うるさい」

田中先生の姿をした芹澤がそう呟いた。

「我に何を求める?」

そう言う我も今はただの『人間』だ。いつもの力が感じられず確かめると我の姿もまた変わってしまっていた。夢の中でくらいしか『ヒト』であることはできぬのだ。

「………はぁ…柳生じゃなかったら誰だかわかったもんじゃないんだけど。本当に分かりやすい奴だね」
「…そうか?……フッ、…我ほどではないにしても海渡もこの場所に来た瞬間に理解しておったのだろう?その意味では流石海渡だ…」
「僕が学年一位なのは大がまともに勉強をしてないからだろ?その石集めとか学校での態度を中学の頃みたいに…」
「ーーその話はここまでだ。話せることはない」

中学の頃、言われて思い出すのは良き学校に通うためにと血眼になって我を導こうとした母の末路だ。この世界は我の知っている世界ではない。そのようなことを重き返しても結果は変わらない。我はかつての『矢筋元気』『多田裕也』の音を聞いてこの色彩学園に決めた。同しようもないあるヤンキー高校出身者が母校で伝統と趣を置き自分たちの後輩に当たる生徒を指導している。…と聞けば関心は湧く。それに、我は十分『ヤンキー』だったり『不良』という縛りに入れられてもおかしくはないだろう。あの頃のことを思えば。

「……おや、珍しい組み合わせですね。…田中先生に柳生くんこんな所でお茶ですか?」
「茶…?」

どこからともなく現れた我・柳生大がそんな事を言うと手元にはティーカップが握られていた。海渡も同じだったのだろう。急に現れたそれを見て驚くように瞬き香りを嗅ぐ。ストレートの紅茶だ。我らで集まったときに飲むものと全く同じようでその香りを嗅ぐと急に喉の乾きを感じて一口クチにし喉を湿らせる。

「……ん……」
「…大、自分の体じゃないからっていくらなんでも警戒心なさすぎじゃない?」
「……そうか?海渡これはこれでうまいぞ?」
「大がそう言うなら美味しいのかもしれないけど…」
「大…?…海渡…?ひょっとして…私をからかってます?田中先生。…柳生くんまで巻き込んで何してるんですか。今月別の学年から三回注意受けてるんですからこれ以上は………」
「………多田…先生…か?」
「おそらく。…自分のことを『私』と言ったし、何より若鶏先生にしては事をなぁなぁにしない。といっても僕らの知っている先生だということは間違いないから…残るは多田先生かなって」

スラスラと目の前の男に対する見解を述べていく。口にしたほうが有利だと言うことはこのティーカップが証明した。だからこその行動なのだろう。我も全く同意だ。そう話しているうちに足音が近づいてきた。

「………。あれは…」

多田先生も気がついたようでそちらを見る。しかしその先に居るのも多田先生で。またこれも入れ替わっておるのか?

「わ…たし?」
「…おっと…柳生くん?」
「呼んだか?」
「…大。ややこしくなるから黙ってて」

その場にやってきた多田先生に答えようとするもそれを遮られる。仕方なく口を出さずに添えを眺める。しかし入ってきた多田先生の姿をしたものは言葉を濁しこの部屋の光景を眺めている。

「…これは…不思議な場所ですね。西洋と学校が混ざって統一感がない。柳生くんが多田先生…ですね?」
「……わた…私がっ…?…柳生くんが私…??…はっ…?」

今になってようやく自覚をしたのかその場から飛び出ていくようにして扉をくぐって行ってしまった。

「………っと…先生とあったことは内緒にしてくれるかな?えっと…」
「我が柳生だ」
「芹澤です」
「うん。二人はわかってるかもしれないけど俺は若鶏だよ」

手をひらひらとさせて慌ただしく飛び出して行った多田先生の後をのんびりと追いかけていった。

「どう思う?大?」
「ふむ…。せっかくならティポットを一緒に出させるべきだったな」
「もう空にしてる…。ってそういうことじゃない」

隣で呆れたように告げる鈍い反応。こんな夢も悪くないだろう。


〜田中一馬〜
あれから何度かぐるぐると場面が変わっていろんな光景を見た。大小様々でこれが現実ではないことをリアルにしていく。イライラとして胸ポケットを探ってもタバコ一つ持っているわけでもない。芹澤なんて優秀な部類の生徒がタバコを持っているわけがない。

「はあーあああ……、だいたいおかしいんだって。俺が教師になったのは教えられるより教える側のほうが楽だからで、…相手がガキなら大したことも考えてねぇだろ。……つーかこの色彩学園も伝統や行事つーても凝り固まった上層部のオモチャってわけだろ」

いつもなら誰が聞いているわけでもないと分かっていても出てこない本音がスラスラと出て来てしまう。訊かれてまずいと思う心はまだ持ち合わせている。

「…ほう…随分面白い話をしているな。……この状況にも慣れてきた所で芹澤。…お前が誰なのか分からないが詳しく聞けば誰かなんてすぐ分かるだろう」
「……矢筋…先生」

この手の話を一番聞かれていけない人物に訊かれてしまった。姿こそ小島のものだったがその声に強い怒気がはらみ存在感を主張している。

「…いた!色んな場所で入れ替わってしまったって話を聞いて僕も居ると思ってました。…まさかと思ったけど…矢筋先生…ですね」
「良いところに来た。田中先生を捕まえよ」
「…えっと……僕が誰なのかとか確認しないんですか」
「そんなことより田中先生はこの私の目を欺き入学したかもしれない。許すことはできない」

俺が誰なのか一発で勘づかれていたようだ。そういえばこの学校に移される時に随分と根掘り葉掘りアンケートを取られた様な気がする。その中に学校に関しての項目に俺自身のこと、もちろん見栄えが良くなるようにそのアンケートを出したとしている矢筋先生の好みを調べて模範的回答をしたのだ。

「勘弁してくださいよ。あちこちで邪魔されて…そろそろ俺」



『起きないと』、と口にしようとすると世界は止まった。固まった。眠気が覚めようとしているのだろう。目を伏せると時間はまた動き始める。朦朧とする意識をつなぎとめるようにまた目を伏せて意識的に夢の中に戻っていく。

「すみません、…僕じゃ矢筋先生を止められない」

矢筋先生の姿をした小島が申し訳無さそうに声を細めて俺の腕を捕まえて俺は抵抗もできないままに次の場面へと連れて行かれていた。




*****


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目が覚めると大人の手が視界に入った。自分の手だ。紙で切った傷もそのまま。ベットの上、だるい身体を起こすと時計は六時を示そうとしている。昨日は酒を飲んだんだったか?食事をろくに取っていないので限度の空腹を覚え腹痛すら感じる。この時間なら朝の当番も間にあるだろう。身支度を整え夢心地のまま家を出る。全身に奇妙な既視感を感じながらーーー…。